2025/4/30更新 本文中にあるアーレントのプラトン論の哲学の起源のくだりを読んだら、このページの文章は完全に誤っているような気がしてきた。部分修正で事が済むだろうか。哲学は一筋縄でない。教科書的理解では誤る。
----プラトンにとって哲学の起源は驚愕(θαυμάζειν)を受苦することである。「かかる驚愕は、言葉で言い表すことができない」。(ハンナ・アレント『政治の約束』)
T君の質問、これ面白い。ドイツでの当時のカントの受容は私も知りたかった。例えば、ゲーテによるカントのコメントを読んだ記憶があるが、ゲーテならしっかり読むだろうけど、とはいえあの難解な書をどこまで理解していたのだろうか。当時の文学者は誰もがみんなカントを読んでいたみたいだよね(ハイネだったかのコメントみた覚えがある)。これって正直、実態が想像できない。
哲学はずっと敬遠していて、それこそ暇つぶしに、ボケ防止も兼ねて始めたもので、やっぱり自分には向いていないことが分かって、今は意地で続けているんです。とにかく午前中の義務として頭を掻きむしりながら。そこで、せっかくだから、ここ半年ではじめて知ったことをT君の議論にからめてまとめてみます。以下、私の理解している点を箇条書きで。かなりおおざっぱで、論拠を今回は確認しませんし、大きな誤謬が含まれている可能性も大きい。ご了解を。
1 カントによる哲学の範囲
・まず、「なぜカントは純粋な哲学定義を提示しながらも、そうで無い不純なものも解析定義したの?」の回答が、1-1と1-2になります。
1-1 時代背景
まず、当時の哲学は、現在と比べて非常に範囲が広かったことに留意する必要があります。
・カントの時代は、自然科学以外の学問は、哲学。ちなみに、アリストテレスの時代は、自然科学も哲学。
(自然科学とは主に物理学。化学と生物学にカントも触れているけど学問とはみなされていない感じ。生物学はダーウィン前なので分類学(博物学といっていいかも)の段階)
・しかし、カントは物理学が正しいことを証明すること(真理。根拠を与えること)が、哲学の大きな使命と考えていた。
・天文学が微妙で、カントの最初の論文は天文学。カントがこれを哲学と考えていたのかはよくわからない。
・つまり、カントが学んだ哲学には、T君の言う実践哲学が含まれていた。例えば、道徳論(正義とは何かとか)、神の存在証明(神学はさすがに独立していたと思う)、美術論なんかはすべて哲学の領域だった。そして、認識(真理)や道徳(正義)や美が、哲学の下でこちゃまぜに議論されていた。
・経済学や政治学は独立していない。カントが言及しているロックやルソーは哲学そのもの。
・法学は、よく知らない。
1-2 カントの哲学の内容
・カントは多くの著作を出していてその中で主著といわれるのが次の三つの著作で「三批判書」。批判の意味はいろいろあるが、今回のテーマでは、当時の哲学への批判の意味と考えてよい。つまり、「三批判書」であたらしい「哲学」を打ち立てようとした。
1)純粋理性批判 認識論。経験論と観念論の統合。特に形而上学と呼ぶ。
2)実践理性批判 道徳論。
3)判断力批判 美術論。
・1)2)3)すべてがカントにとっては、哲学。カントは哲学を体系化した。そのときに、いくつかに分けられた個別哲学(認識学、道徳学、美学etc←これはカントの用語ではない)が、それぞれ違う根拠と役割をもつので、峻別せよとしたのが大きな主張。認識論(純粋理性)で得たものをそのままで道徳論(実践理性)にしてはいけない。
正確にいうと「純粋理性」が道徳とか神の存在証明とかに口を出してはいけない。それは純粋理性の横暴である。
というのが、カントの主張で、一方、道徳は「実践理性」の役割である、と別線で道徳、「すべし」の分析を進めた。つまり「純粋理性」により、物理学のようなモノの存在やその法則の客観的正しさを根拠づけた(真理を証明した)(認識論)が、その根拠づけは、「実践理性の」のはたらく「道徳」には当てはまらない。道徳は別の「実践理性」のはたらきで、別の根拠づけが必要であるとして、その根拠づけを展開した。
・なお、この「実践理性」による道徳論は、その後は「倫理学」の一大潮流となり、哲学の一分野となる。カント倫理学として発展したが現在は主流ではない。主流は、真っ向からカントを否定・対立する倫理学となっている。正義論で有名なところでは、ロールズやサンデルは前回コメントした英米派哲学の分析哲学の一員と言われる。あるいは、アリストテレスに遡った倫理学も出てきている。これらは、カントの倫理学を全く土台にしていない。(一方、認識論の方は、カントに代わるものが定着していないので、いまだ議論が続いている。)
2 カントは、以降、哲学の歴史でどう引き継がれ、乗り越えられていったか。
・続いて、T君の疑問、「少しスキャンダラスに言えば、カントを曲解した連中によってカント評価は定まるし、アンテイテーゼとして使ったやつが後世の哲学を作った?ってか?」についてです。
これについては、たくさん書かざるを得ません。なぜなら、まさに私も同じ疑問をもち、だからこそ、カントを読み、カントがどう引き継がれたかの視点で、ヘーゲルをフッサールを哲学史を読んできたのですから。カントは、その後の哲学に、どうつながったのか。
回答は、結論から言うとこうです。カントの認識論(「モノ自体そのもの」)は、常に哲学史上、今に至るまで焦点であって、それを乗り超えようとして全く新しい考えを提示したり、全く無視したりしてきたけど、結局、誰も乗り越えていない。その際、決して曲解などはされておらず、しっかり受け止めたうえでのことだ。
なぜ曲解がないといえるのか。それは、カントの主張は曲解の余地がない明確さを備えているからです。ヘーゲルやフッサールは大いに曲解されそうだが(今でもそういう議論が多い)、カントの認識論の基本は明快なのです(カント哲学全体としては巨大すぎて難解とはいえ)。それがカントのすごいところ。以下、詳述です。
しかし、カントは巨大すぎたんだろうね。相当の批判や否定がその後現れて、ドイツ観念論なんていう一大潮流までできたけど、現在に至るまで、丸ごと全部を批判して別の体系を打ち立ててまるごと受容された人はいない。もちろんヘーゲルとか(フィヒテなんかもそうだと思うけど)体系を打ち立てようとした無数の人がいて、それだから哲学署がどんどん膨大で難解なものに膨れ上がったんだろうけど、まるごと受容はされなかった、というのが私の理解。個別の論点についてはいろんな受容があったろうけど。
カントが後世、どのように引き継がれたか。具体的な例を示す。
2-0 カント
まずカントの哲学史的意義を、少し詳しく整理しておく。以下は前回書いた文章だが、
当時の物理学などの自然科学とそれを基礎づけた哲学は、まず、デカルトにはじまる「われ思う故に我あり」という観念論があった。これは数学(=演繹)が基本。これに対して、経験論が登場して、デカルトなどの観念論は、その人にとっては正しいかもしれないが、万人すべてにとって共通理解があるわけではない、つまり主観的(独我論)にすぎないと退けられた。なにごとも経験である。経験は間違いなく正しい。物理の法則は帰納法で証明できる。つまりリンゴが落ちて引力の法則を発見すれば、それがどんな場合でも同じ結果になることを調べればよい。しかしバークリーとヒュームは経験論(帰納法)だと、無限のリンゴの全てについては確認できない。結局、真理に到達できない。こうして懐疑論になっていた。つまり観念論も経験論も真理に到達できない。これがカントの時代。
これがカントには不満で、物理学の正しさ(客観性)を証明しようとした。
カントは、経験論と観念論をアクロバット的に結合した認識論を打ち立てた。つまり、モノがあるから人にとって見えるのではなく、人が見るからモノがある(カント自らコペルニクス的転回といっている)。こうしてモノの客観的実在が確立される。つまり、帰納論の限界をクリア。そして数学(演繹)は人間にアプリオリに備わっているとし、それなら万人共通だと、演繹論の限界をクリアした。 だが、そうなると、人には見えていないモノはどうなるのか。これをカントは<モノ自体そのもの>っていうんだけど(専門用語なんですね)、カントは、<モノ自体そのもの>は人間には分からない、とした。
<モノ自体そのもの>とは、何か。目の前に見えている机を例にとると、その机は、机が存在するのから見えるのではなくて、人間が見るから存在する。虫のダニ(眼がなくて温度で外部を認識する)にとっては、その机は存在しない。火星人にとっても、見えて机が存在するかもしれないが他のものに見えるかもしれない(カントは面白いことにこういうことも言う)。だからその机は人間が見た限りで存在するのであって、<その机自体そのもの>というのは認識できない。想像はできるけど、想像は客観的ではない。
この考え方でカントが示したかったのは、客観性や普遍性。目の前の机には客観性や普遍性があるが、見えない<その机自体そのもの>、想像するだけの机は客観性や普遍性がない。机の代わりに「神」を考えてみよう。神の存在は見えない。神という<モノ自体そのもの>はわからない。その存在を証明できない。しかしこれまでの哲学は神の存在証明をしてきた。これは純粋理性の横暴である。それをしてはいけない、とカントは主張して、その神の存在証明の不可能性を証明した。<モノ自体そのもの>の存在は、客観性や普遍性がなく証明できない。
(注)正確には、感性とか悟性とか理性とか知性とかいろいろ定義するんだけど、長くなりすぎるから省略。だからここでのカントについての説明は正確性に欠く。いろいろ言い換えている。
(注)<モノ自体そのもの>は、場合によっては、モノの「本質」とか、モノの「絶対的真理」とかとも言われ、その方が分かりやすい場合があるが、その場合は、T君の言われる「曲解」につながるかもしれない。なので、以下ではカントの使っている言葉<モノ自体そのもの>のまま通します。また、カントの"乗り越え"は、<モノ自体そのもの>だけに限られるわけではない。あくまで代表的なものとして、取り上げた。
2-1 ヘーゲル
まず、ヘーゲルは、カントの認識論を否定して、ヘーゲル独自の弁証法による哲学を構築した。
ヘーゲルは、<モノ自体そのもの>はあるし人間に客観的に認識できる、と主張した。そしてカントのどこがどう違うかを説明している。T君の言うような、カントを曲解はしてはいない。正面から受け止めて全面否定した。では、どうやって。弁証法という、演繹とか帰納とかという論理とは別の論理を使う。カントとは全く違うロジックとなる。カントとは全く違う哲学(認識論)となる。カントとヘーゲルが論争したら、全くすれ違いだったろうね。
ヘーゲルはさらに、カントの道徳論(倫理学)も、やはりどこがどう違うかを説明して、否定し、別の倫理学を主張した。もちろん弁証法で。ヘーゲルにおいては、認識論と道徳論は一体化している。さらに人類の歴史、現代の法学も含む壮大な一大哲学体系を樹立した。ギリシヤ以来の人類の歴史を、精神の発展として叙述した壮大な『精神現象学』は、たとえ19世紀ドイツがその完成の姿だとする点に限界があったとしても、ギリシヤ悲劇やフランス革命など素材に人間の精神の発展遍歴は興味深いし、文学的表現は洒落ている。だけれども、
(私には文意が理解不可能だった。一文一文が徹頭徹尾、弁証法なのだ。演繹論で使われる論理と違う。20世紀前半の英の哲学者ラッセルは、ヘーゲルが書いていることは全くわからん*、としたとか。カントは評価する**。ラッセルは英米派の分析哲学の源流の一つ)
*「ヘーゲルの諸学説がほとんどすべて誤りであるとしても(そしてわたしはそう信じているのだが)、なお彼はある種の哲学のもっとも優れた代表者として、ただ単に歴史的なものでない重要性を保持しているのである」。「ヘーゲルの哲学はきわめて難解であり、あらゆる偉大な哲学者のうちで、もっともその理解が困難な人物だと私は言いたい」
**「カントの非常な重要性を認めないのはバカげているであろう」。*,**、バートランド・ラッセル『西洋哲学史3』みすず書房(原著1946年)
2-2 フッサール
次に、フッサール(現象学)は、これまた全く違う考え方で、カントの認識論が、どこがどう違うかを説明したうえで否定している。焦点の<モノ自体そのもの>は、認識できる。どうやってか。特別な方法(=現象学的方法)により、モノそれ自体に到達できる。人間に客観的に認識できる、とする。(しかし、どうも微妙な言い方であり、フッサールは揺れ動く。経験の無限の可能性の中で、とも言うのだ。つまり無限ということは到達できない、とも言っているわけだ。もっとも、それを追及したフッサールは、不可能と断言したカントとは正反対)
ロジックは普通の(カントと同じ)演繹論理。だが、認識の仕方がカントまでと全く違う、現象学的方法という新しい認識の方法。エポケーとか現象学的還元とか、ノエマとノエシスとか、意識の志向性だとか、これを説明し始めるとこの10倍は書かなきゃならないので省略。一言でいうと知覚とか意識とか、認識に関わるあらゆるキーワードの意味をカントから変えている。カントでは、それまでの哲学の伝統のうえに乗っかって統合した感じだが、フッサールでは全く新しい世界が示される。一からやり直している。
私の印象としては、わかったようなわかんないような。エポケーとか現象学的還元が秘儀的に感じた。そして、こんなにくどくどとやってどうするのか、という感じ。カントもくどかったけど、一分の隙も漏らさぬ完璧さを積み重ねて堅固・立派な構築物になる。フッサールは同じことの少しずらしながらの繰り返しで(論を進めながら、でも今まで言ってきたことは本当だろうかと再び始めたりする)、それは丁寧な説明とは言えるんだけど、だからといって示された新しい世界が、そんな驚愕する内容があるとも思えない。なぜなら所詮方法論だから。これじゃあ世間には受け入れられない。曲解されやすいともいえる。現象学とは一つのフッサール世界という閉じられた世界における知的ゲームという趣なのだ。
(たった今も、フッサールを読んでいて、わあまただ、目の前の机を見ることとはどういうことかというのを延々とやっている。カントは芸術とか政治とか自然とかについても触れるんだけど、フッサールの主著『イデーンⅠ』では全く触れられていない。頭の中の事と目の前の机の事だけ。後期は違うかもしれないけど笑ってしまう。いい加減にしてくれ。)
フッサールは、倫理学には関心がない模様で、当為は存在の単なる拡大と言うに過ぎない。ひたすら認識論。認識論の部分だけ取り出すと、結論としてはヘーゲルに似ている。だが、フッサールはヘーゲルを読んですらいなかったらしい(単なる噂かも)。
2-3 ハイデガー
そして、現在格闘中なの(2025/5/8-)が、『存在と時間』(1927)。岩波文庫版(熊野)は、丁寧な注解に助けられながら、するする読めてしまう。なぜか読みやすい。以下、段落番号1-1248は、この訳書による。
序論。序論が長いのはカント以来の哲学の伝統なのだろうか。ハイデガーは目的をしっかりと立てる。「存在の意味とは何か」。その時、第一に、「現存在」、つまり人間、その人(読者)本人の存在の意味を問うのである。存在一般、世界も、その「現存在」に立ち現れる。だから射程は広い。カントやのように認識論から入るのではなく、存在そのものをストレートに問うのである。その方法としては、現象学だという。フッサールのと明記される。基調にはフッサールがあるようだ。そしてカントもかなり意識されている(ヘーゲルは訳者が注解で意識を促している)。しかし、フッサールと同じだろうか。フッサールが問うたのは認識だったはず。
存在への問いは、ギリシヤ以来、自明とされ誰も問うてこなかったという。しかしすべての学問の基礎にあるはず、とハイデガーは言う。カントもヘーゲルもフッサールも自分の哲学について同様のことを言ってるんだけどね。これが哲学の共通の定義か。しかしその哲学の中身は違う。「現存在」、つまり人間の、それも自分の存在と言いながら、哲学の歴史が語られフッサールに比べると話題が豊富で面白い。しかし、問いの設定が長くてなかなか進んでいかない。
いよいよ本論。現存在の実存論的分析論。ようは、現存在、人間、この私の存在の分析なのだが、「世界内存在」の説明で理解できなくなる。段落161。椅子は壁に触れることができない? 確かに厳密にいえば物理的に完全に隙間がなくなることはないので触れていないとはいえる。しかし、壁が椅子に「出会う」ことがなければ、触れることもない、という。「出会う」とは、世界内存在しているときのみ可能となる。世界が欠けている存在者同士は触れ合うことはできない。つまりもう一方の存在者のもとで存在することができない。うむ。どうやら、カントがこだわった主観-客観の問題、主観と客観がいかに一致するかという認識の問題が、問題ではなくなるということのようだ。「認識作用は現存在の一箇の様態」(174)に過ぎない。
ここでいう「世界」とは何か。現存在の主観なのか(180)。違う。世界は多義的だが、ここでは「現存在がそのうちで生きている場所」と指すとされる(185)。
カント以来の「モノ自体そのもの」はどうなっているか。ハイデガーは根底から問い自体を変える。カントでは(フッサールでも)モノは、まず典型的には「見て」認識するものだったが、ハイデガーではそうではない。人間は、まずモノを使用するのではないか、と。現存在が世界に関わるのは、「操作し使用する配慮的気づかいであって、そうした配慮的気づかいは自分に固有な認識を備えている」(192)。「ドアを開ける時、私は取っ手を使用しているのである」(193)。
こうしたモノ(「配慮的気づかいにおいて出会われる存在者」195)を、道具と名付ける。まず認識があるのではなく、道具を使用することにより世界に関わる。このあたりは圧巻。しかしどこに連れていかれるのか。
道具分析は、本書の中では最もわかりやすい部分と言われる(細谷)。だが「指示」「しるし」「道具連関性」「世界適合性」「適所性」「有意義性」。。。次々に新しい概念がだされて、めくるめくように論が進む。いやあ、面白いんだが、だんだんわからなくなっていく。引っかかった個所は、
「適所全体性そのものは、最終的に或る<なにのために>へと立ち返ってゆくけれども、そのもとではどのような適所性も、もはやえられることがない。この<なにのために>自身は、なんらかの世界の内部で、手もとにあるものという存在のしかたをともなう存在者でない」(238)。「手もとにあるものが<それにもとづいて>開けわたされているものは、覆いを取って発見されるものではない」(241)。この文章が理解できれば、理解できたことになるんだろうが。うむうむ。
はかったように、デカルトの存在論批判。第1篇第3章B、第19節以降、252以降。デカルトをターゲットにしながら、カントもフッサールもやり玉に。いわく、実体や、そのきわだった属性である「延長」(いわゆるカントでいう空間論)として存在を捉えるやり方に、否を突き付ける(262)。デカルトのように「不断に」「純然と目の前にある事物」を着手点とするのでは、「世界」の存在論に到達できない。
第1篇第3章cは空間論。カントはここからはいった。時間論はずっと後で出てくるが、空間論がなぜここでと思ったが、どうやら次の章の前提になっている。
岩波文庫で第二巻に突入。第1篇第4章。世界、道具、空間ときて、いよいよ現存在そのものがテーマとなる。驚くべき問いがなされる。「日常性において現存在とはだれか」(312)。おいおい、人間、この私ではなかったのか。そして他者たちとは「ひと自身がそこから自分をたいていは区別せず、ひともまたそのもとで存在している者たちなのである」(324)。むむ。
とりあえず、人間の実体は、こころと身体の総合としての精神ではない。実存である(321)。ここで空間論が効いてくる。そして答えが出てきた。「日常的な現存在とは<だれ>かという問いには、それは<ひと>であると答えられる」(355)。<ひと>とは、特別な概念で、細谷は世間、原は世人と訳している。現存在は、世界で他者と共存在している。しかし日常的には他者から支配されている。この他者はしかし、この者でもあの者でも、幾人の者でもなく、すべての総和でもない<ひと>である。そういう<ひと>に支配され、平均化され、均等化されでいる。もちろんこんなものは、本来の自己ではない。本来の自己は、<ひと>により覆い隠され、破壊されている。実感としてよくわかることだが、見事で華麗な分析だ。でもこれって哲学なのだろうか。詩みたいだ。
(継続中)
2-○ ドゥルーズ、レヴィナス、メイヤスー、・・・あるいはベンヤミン、アレント、フーコー
(未定)
2-3 哲学の歴史のその後の概観
現在の眼から見た場合に、カントの体系のうち、認識論の部分が、さまざまな議論の蓄積の経緯のなかでも、いまだなお重大な課題になっているので、認識論の部分はいまだに議論が続いている。
例を挙げると、英米の分析哲学は、前回書いたけど、
現在(20世紀以来)の哲学は大きく大陸系(独仏)と英米系に分かれていて、日本は戦後から現在に至るまで、圧倒的に英米系だった(慶大の沢田さんもそう)。英米系は、ラッセルとかウィトゲンシュタイン以来、カントなどの形而上学(認識論とか)を完全に否定(議論すること自体が無意味と)し、論理学に数論とか言語学が合流して分析哲学・言語哲学といわれ現代にいたる。個別の狭い話題のワンイッシュー短編論文が多い。
つまり、カントの<モノ自体そのもの>なんか、あってもなくてもいいじゃないか、というスタンス。否定して対案をだすんじゃなくて、無視という感じ。
大陸系哲学は、やはり前回はこう書いた。
ドイツでフッサールからハイデガーに至った後(現象学)、フランスに主流が移りサルトルとかメルロ=ポンティに引き継がれた後、デリダ、ドゥルーズ、フーコーの世代に至るんだけど、デリダってフッサール研究でスタートしたのにこれを否定した『声と現象』で名を挙げ、ここでレヴィ=ストロースの構造主義(ソシュールが源流)が登場するけど、ストロースってあくまで文化人類学であって親族体系とか神話の構造分析が一躍有名になって(これはこれで面白いです)、哲学も構造主義を導入し、ポスト構造主義まで同じ流れ。浅田彰が我々の大学時代に書いた『構造と力』は、ドゥルーズのポスト構造主義が哲学というより文化理論や文学批評という形で米に受容されたものを紹介したもの。日本で大流行したが、アカデミックな哲学としては扱われなかった。
つまり、フッサールとそれを継いだ弟子のハイデカー(フッサールに言わせるとハイデカーは現象学を誤解している)がいて、ポスト構造主義の源流のデリダは、フッサール研究からスタートしている。デリダはフッサールをそれなりに評価しているけど、デリダ自体は現象学とは言えない。このあたりは現在進行形だが、ポスト構造主義はカントの<モノ自体そのもの>から身をかわしてきた・逃走してきた・脱構築してきたとわけわかんないことになっていて、「つまんない事に屁理屈回しすぎ」と私も思う。フッサールを読んでて感じているんだけど、ポスト構造主義がフッサールを意識せざるをえなかったとすれば、屁理屈回すことになったのも致し方ないのかも。そして何のために哲学しているかもわからなくなっていく。
前回の流れを続けると、
つまり、大陸系でも英米系でも、異なる観点で、カント-フッサールを否定してきたのが戦後の20世紀の哲学。環境的には、マルクス主義の没落や全体主義(ハイデガーのナチ化)登場により、究極の目的とかというグランドセオリーが忌避されたという背景が大きい(このあたりは確か国分さんの『暇』にも触れられている)。
ところが21世紀に入って、英米の分析哲学は成果を挙げられず停滞(有名なのはサンデルくらいだけど彼は倫理学)、大陸系はデリダ、ドゥルーズ死去の後、迷走中。ここ10年で一時的みたいだけど、米・独・仏で思弁的実在論とか新実在論というカントに遡って形而上学(認識論など)の再検討が流行していて、一方、デリダやドゥルーズも日本では、浅田彰みたいな文化批評ではなく哲学的な検討がやっと始まっているらしい。
ここで言った、思弁的実在論・新実在論が、カントの<モノ自体そのもの>を正面から取り上げた。カンタン・メイヤスー(仏)とかグレアム・ハーマン(米)とかマルクス・ガブリエル(独)。まだ読んでない(読み始めてカントが出てきたところで全く分からなくなったので、カントを読み始めた次第)。
思うに、カントは偉大だったということだ。18世紀に完璧な認識論を構築した。以降だれも超えられていない。<モノ自体そのもの>なんかを気にしなければいいのだ。だから、それを無視した英米派が賢かったんだろうが、かといって有意義で面白くて成果が出たかというと、、、。
ひとつだけ引用します。納富信留という古典ギリシャ哲学の人だが、最近「世界哲学」を提唱して「世界哲学史シリーズ全11巻」を編集しているひと。彼のプラトンはとても面白い。
「近年の分析哲学の業績を傍から眺めていると、仲間内での閉鎖的な知的ゲームの様相が濃く感じられ、率直に言って、私には哲学としての意義をあまり見出されません。それ以上に、過度に限定された範囲での図式的な論争には誤謬や疑似問題の疑いすら抱きます。学界においてノーマル科学として安定化した分析哲学は、もはや問題提起という役割を果たしていないかのようです」(『世界哲学のすすめ』ちくま新書2024年)
じつは、フッサールをよみながら、同時に先日発刊された「フッサール入門」(ちくま新書2025年)を眺めていたんですが、そこでも同じように、現役のいまここで研究されている現象学に、「学界においてノーマル科学として安定化した」気配を感じました。こちらは特定の大学の特定の教授陣でしょうけど。いわく福祉現象学、フェミニスト現象学、、、。
カントの「モノ自体そのもの」とは何か。これは哲学が追及してきたテーマのすべてではないが、典型ではある。これがその後の哲学のヘーゲル、フッサール、ハイデッガー、そして近年の思弁的実在論・新実在論までずっと焦点になってきた。つまりいまだ未解決。
私は、そもそも宗教=仏教の<悟り>を勉強していて、あまりにそれが哲学的議論に感じられたので、哲学やんなきゃと思ったのが6か月前の動機ですが、なんか、やっぱり哲学においても<モノ自体そのもの>ってなにかは、<悟り>と同様にわからないものなのかなあと感じつつある次第です。
3 哲学ではなく、詩人や芸術が求められる
こう見てくると、T君の言う「雑に括ればヘーゲル以下はカントの呪縛で、曲解からアンテイテーゼ出して自分の哲学とした。その枠組みから完全に解放されて勝手な事言ったのがニーチェで、ベンヤミンなどはニーチェがいたから、自分も勝手な事言えた、ッてどう?」は、正鵠を射ているって言えるかも。
ただ、曲解では決してない。カントを超えようとしたけど超えられなかった。ヘーゲルもフッサールも勝手なこと言っているというのは、そうかもしれない。ベンヤミンややニーチェはむしろ、、、って考えたのが次の通り。
・ベンヤミンは哲学者を目指していたけど、教授資格審査に落ちてしまって、なれずにジャーリズムの世界に。あまりに先進的かつ難解な論文で、誰も理解できなかったらしい。彼の作品群は、ナチスに至るあの時代にアカデニズムに浸かることなく現実に直面してきたからこそなしえた、ってよくいわれるね。しかし読んでも難解でよくわからない。詩人というのがふさわしいかな。
・ニーチェはもともと古典学者。つまり古典ギリシャの文献学。超有望で天才的な教授となったが、若くして病気で退任(ワーグナーへの接近と『悲劇の誕生』で恩師に見放されたこともあって)。その後は文筆業。生前は無名。20世紀になって大流行。芸術・文学としてだね。その後、ハイデガーとかドゥルーズ(ポスト構造主義哲学の最大の牽引者)に評価され(いずれも文庫本でニーチェ論が出ている)、広く現代の哲学に影響を与えた。ニーチェそのものは、芸術家といってよさそう。
詩人と言い芸術家と言い、これは貶めようというんじゃない。
国分さんの『目的への抵抗』(付録の書評参照)では、音楽家を含めた「パフォーマンス芸術」に触れられています。国分さんは、コロナの「不要不急」論を契機に、全体主義を振り返り、政治における自由とは何かを考え抜くのですが、ある目的達成のための手段ではない自由が大切と思い至ります。我々の社会にそういった自由がなくなっているのではないか。その予兆がコロナで現れたのではないか。「問題は、あらゆるものが目的合理性に還元されてしまう事態に警戒することです」。そういった自由をどこに探し求めればいいか。その一つが「パフォーマンス芸術」だ、とします。「パフォーマンス芸術は、実際、政治との強い親近性をもっている」というアーレントを引用しながら、彫刻なら最終作品が重要であって、そこに至るまでの行為の過程は、作品という目的を実現するための手段にすぎない。しかし、パフォーマンス芸術では行為していることそのものが作品の完成であって、それは目的を達成するための手段という連関から自由だというわけです。「パフォーマンス芸術」=音楽家にこそ、目的合理性に還元されない自由がある。
アーレントのいう政治は、支配とか国家とかの大きな政治ではありません。複数の人間が一緒に生きているときに生じる営みの事です。アーレントはこういう政治が喪われることを嘆きます。だから「パフォーマンス芸術」が政治との強い親近性がある、とは貴重な営みだと言っているのです。
さらに国分さんは、ベンヤミンを詩人といいます。不要不急のような問題を検討するためには、「すぐ判るわけではない概念に取り組むベンヤミンのような思考のスタイルが要請される」とあえて紹介するのです。実際、本書を読んでいても、ベンヤミンの言葉はわからないのですが、こういった問題には「時間をかけて取り組まなければならない」ので、ベンヤミンの「言葉をしまっておいて、それが成長してくるのを待たなければならない」(P166)。おぉっ、ですね。
詩人とは芸術家ですね。哲学とか政治学とか演繹とか帰納とかではなく、詩人つまり芸術にしかできないことがあって、それを大切にしたいというわけです。
何が言いたかったかというと、哲学(政治学を含めた広義)と芸術の関係は、それぞれがかけがいのないものであって、しかしそれぞれが無関係なものではなく、かといって一方が他方に一方的に依存するものではなく、相互依存の関係にあるということです。
哲学も、芸術に発想の源泉を求める場合があって、特に政治的に困難な時代においては、あるいは何が大切かわからなくなった時には、芸術は不可欠である。芸術はすぐに社会問題などに直接の解決策をあたえるものではないけど、じわじわと効いてくる。国分さんの本は、そう読むこともできると思います。
改めてパォーマンス芸術家であり哲学=西洋文明の真髄を知る・T君を、尊敬するものです。
20世紀前半のドイツは、すごいと思う。T君が言及しただけでも、ベンヤミンとかクラウスとかがいて、哲学ではフッサールとその弟子ハイデカーがいる。20世紀前半のドイツは西欧文明の極致なんだろうね。芸術も哲学も世界の中心。一大拠点。いろいろ入り乱れるわけです。
だからこそ、なぜそのドイツでナチスが生まれたのか、というのが人類の歴史始まって以来の最大の難題だった。アドルノはまさにこの点を追及したので迷走は仕方ないかと。いろいろ話題にしたアーレントもそうだね。
どうやら、哲学は行き詰りなのかもしれません。むしろ詩とか芸術、政治学とか歴史学が未来を拓くのではないか。ドイツがナチズムの全体主義に流れ込んでいったのなんかみてると特にそう感じる。哲学どうのということではない。そこなおいて芸術の意味は大きい。
話題の国分さんは、哲学者ということになっているが、語られているのは哲学ではない。ベンヤミンやアーレントが哲学でないように。
ベンヤミンは詩人であり、アーントは政治学に近い。アーレントはハイデカーの教え子だから哲学が出発だから、哲学的ではある。しかし全体主義をテーマとしているから認識論とかに拘泥しない。カントについてもいろいろ言っているが、もうカントを超越している。カントと対決という形ではない。新しい哲学を作ろうとなんかはしていない。反・哲学の立場にあったとさえ言ってよい。<モノ自体そのもの>があるのか、ではなく、「なせ誰かが存在し、誰も存在しないことがないのか」を問う(『政治の約束』編者解説P43)。ナチズム・戦争・革命・強制収容所を考えるからだ。
だがしかし、アーレントを読むのは辛いのだ。悲惨に直面させられ、かすかな希望への道のりは険しい。そして難しい。その難しさは、カントやヘーゲルやフッサールの難しさとは質が違う。だから逃げていたのだ。そしてその難しさの違いは私には説明のしようがない。私が国分さんに感動するのは、よくぞあれだけかみ砕いて説明できるものだ、ということ。しかし、、、今また。。。
4 カントの受容
T君の言う「純粋理論を出した人の書が難しくて、いい加減に読んだやつがカントカントと言って、その融合が後世のカント受容になったと言う事が、ありえる?」「少しスキャンダラスに言えば、カントを曲解した連中によってカント評価は定まるし、アンテイテーゼとして使ったやつが後世の哲学を作った?ってか?」について。
4-1 プロローグ
昨晩、芥川龍之介の唯一の長編『路上』を読んでいて、これは彼の学生時代が舞台で、それなりに面白いんだけど、芥川にしてはやけに軽妙な文体で、だから登場人物が軽薄に見えてしまって、自ら中途で投げ出してしまった未完の書。で、この中で、東大の哲学の講義の内容がカントなんですね。純粋理性批判のカテゴリー論をやっている。1915年あたり、大正初期だよね。
すでに文学者の間でニーチェが読まれていて、すぐあとに三木清なんかがドイツに行ってハイデカーに習っていた。芥川は東大英文科を首席で卒業しているから別格かもしれないけど、でも、もしかしたら、今より、カントが読まれていたんじゃないかと。法学は別としても、哲学は学問の王者だったろうし。ましてや、本国ドイツにおいてをや。
4-2 曲解によってカント受容がつくられるか
2で触れたけど、哲学史上、ヘーゲルやフッサールはカントにいろいろ言及しているけど決して曲解してはいない。あのニーチェさえもごく初期の少しだけしか読んでないが、曲解はしていない。
では世間ではどうか。T君の言うような、カントを曲解したり読んでもないのに解釈したりするのは、芸術的な意図をもってやる以外には、そうはないような気がする。今のようなSNSもないし、あってもSNSでカントなんかやんないよね。
芸術的な意図でやるのは、大いにあり得る。だがその場合は、そこで示されるのは「カント的何か」であって、カントそのものではない。だから、それが哲学に逆流して、その芸術的な意図が哲学の歴史に影響を与えることはない。芸術が(例えばベンヤミンが)哲学に影響を与えることはあっても、それはあくまでベンヤミンの芸術であって、芸術化された(歪められた)カントではない。
カントの時代の18世紀ドイツのアカデニズムの実態は知らないけど、17世紀でおいてさえ西欧内では国境を越えた学者ネットワークが厳としてあった。そう簡単には揺らぐことはなくて、一人二人の曲解によって変わるというのはありえない。あるとすれば、いまでもそうだが、無意識の集団としての大きな時代潮流、それによってあらぬ方向に向かうというのはあり得る。
以上は私の印象論だけどね。
T君の質問がとても刺激的だったので、ついつい書いてしまった。
とりあえず、こんなとこかな。漏れている点、疑問があったら言ってね。
(付録 書評 国分功一郎『目的への抵抗』)
1-1 K君に紹介いただいた『目的への抵抗』読了しました。人によっては一~二時間で読んじゃうだろうけど、意外に時間がかかった。というのもちょっと個人的な思いで感慨にふけってしまったので。なので長くなります。
まずは客観的な感想をいえば、国分さんは話のもって行き方がうまいね。身近なところを旋回して知らない間に徐々に高度を上げて、一気に哲学の極みに到達させる。それも完全回答ではなくて、若干の読者への謎かけを残しながら。本書は2回の講義記録。いずれもコロナ下の異常な出来事(外出禁止と不要不急)が、じつはコロナでなくても我々の今の社会に忍び寄ってきていた脅威でないかと、訴えるもの。本書によれば、『暇』が経済編なら、本書は政治篇。私にしてみれば本書は、哲学というより政治学です。
前半の高校生向けの講義はアガンベンという現在のイタリアの哲学者がコロナ下で批判された事件が話題の中心で、このアガンベンは『中動態』でも詳しく触れられる。問題は後半の東大の特別講義。プラトンにいま取り組んでいる私にとって、意外なプラトン解釈を教えられたのはよいとして、全体主義の話題になって、アーレントとベンヤミンが出てくる。
前半で出てきたナチス体制を分析した『ヒビモス』が私の政治学ゼミの時代で話題になったことを思い出して、アーレントとベンヤミンも学生時代に読んだんだったかなと思ったのだ(いずれも古い本なので)が、引用される本がいずれも手元にあるのを発見した。「人間の条件」も「暗い時代の人々」も「暴力批判論」も、そして「全体主義の起源」(全3巻)は第1巻まで読んで投げ出したことを思い出した。いつ読んだんだったけ。学生時代かと思い込んだが、しかし、そうなら平塚に持ち込んでいるはずがない。
1-2 2013年以降しばらく読書記録を書いていたが、この第1巻は2014年に読んでいたのだった。
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2014/10/27 全体主義の起原 1 ――反ユダヤ主義
ホロコーストがなぜ起ってしまったのか。全体主義理解の為の古典的大著全3巻。まだ導入部で、全体主義の重要な要素となった「反ユダヤ主義」が語られるだけだが、圧倒的。独仏を中心にユダヤ人社会をめぐる近代史を政治史/経済史を丹念に跡付けながら読み替える。歴史上の事件に隠れた社会的要因を検証するため詩人や作家を読み解く。ユダヤ人を絶滅させるような歴史をなぜ我々は歩んだのか、歴史を繰り返さないためにアーレントは、ヒットラー個人の資質や独の政治力学でなく、西欧近代の歩みの襞に果敢に立ち向かっていく。その姿に身震いする。
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たいしたこと書いてないね。これ以降、アーレントはおろか政治学関係ともおさばらして、ひたいら山や花の世界に向かったことを思い出してきた。そう、私は大学卒業後、<政治学>を武器に行政に立ち向かおうとしていたはずだったのだ。2014年というのは課長になった頃だ。<政治学>も同時に卒業したつもりになっていたのか。
国分さんは、本書で、コロナの「不要不急」への違和感を、アーレントを読んで見極め、その正体を明らかにした。一方、「不要不急」を勧めた当事者だった私は、アーレントなどほんの一瞬たりとも思い起こさなかった。
アーレントもベンヤミンも、取り上げられた著作は私が読んでるぐらいだから、有名で一世を風靡した本です。問題はどう読むかです。これが国分さんは鋭く、かつ現実に使う。
アーレントを読み直し読み進めなければいけない。フッサールなんてつまらない本を読んでいる場合ではない(モノがなぜあるのかっていう認識論って退屈)。しかし、読みたいと思っている国分さんのもう一つの著書『原子力時代の哲学』はハイデカーが中心のようなのだ。ハイデカーを理解するにはフッサールを通過する必要があるのである。
<随時、追記するなど更新中です>
★赤字は前回分、青字が今回の初出分、茶色が追加修正分