1
1
2
2
3
3
4
4
5
5
6
6
7
7
8
8
9
9
10
10
11
11
12
12
13
13
14
14
08)2022/9/9-9/12 鳥海山をめぐる山歩き街歩き村歩き
鳥海山登山(2日目)の行程・地図の詳細は→ヤマレコ 
[速報版]
●1日目 9/9 酒田の街歩き(土門拳記念館、南洲神社[西郷隆盛の南洲翁遺訓の発行元]、山居倉庫、不玉亭跡[芭蕉の宿泊地])★象潟駅前のホテル泊(象潟温泉) 
1) 長時間を費やした秋の山旅計画は、結局大したものにはならなかった。休暇の時間的制約が大きいな。今日は第5弾まであるうちの第1弾、鳥海山です。ここは東北の山の中でも、新幹線から遠く東京からは行きにくい。飛行機か高速バスの方が便利だが、JR東日本の大人の休日倶楽部フリー切符が臨時発行されているのを知り飛び付いた。本当は鳥海山は花の初夏がベスト。山頂に行くには小屋泊まりが必須だが、8月まで。従って、山頂迄は行かない。初夏は残雪があるので、今の方が安全である。謂わば本番に備えての偵察なのである。鳥海山は、前泊と後泊が必要なので、今回は山は1日だけ。残りは温泉巡り街歩きとなる。近くに適当な山もなかったのだが、たまにはこんなのんびり旅計画も、いいかな。写真は、いなほ号特有のチケットホルダー。意味が分かってないのだが、指定席券を差し込んでおく。新潟→酒田の券です。(11:48)
2)なぜベストではない季節なのに鳥海山を選んだのか。麓は酒田だからです。そして酒田には土門拳記念館があるからです。全作品を所蔵しているミュージアム。一旦、計画として浮上したとたんに、第一優先順位になっていました。◼️土門拳は、私の通っていた横浜にある高校出身の数少ない偉人です。2年生の時だったか、彼が母校を訪ねてきたのです。功成り名を遂げて作品を母校に寄贈してくれたのです。私は新聞部の一員だったので小さな会議室で開かれた贈呈式にインタビュアーとして参加した。土門拳は当時1回目の脳溢血後で車椅子で活躍していた。元気そうではあったが、言葉はかなり聞き取りにくかった。だから全生徒ではなく、少人数での式にしたのだろう。今でも鮮やかに蘇るのは、今後何を撮りたいか、という問いに、決意を込めた次の言葉だ。ただ一言、「花」。これは意表を突いた。彼のこれまでの作品歴から外れるからだ。しかし、その言葉には力があった。だから今でも覚えている。土門拳はその後すぐ2回目の脳溢血に倒れる。花は撮れたのだろうか、鳥海山からこんなことを思い出し、来ないわけには行かなくなった。◼️今日、やっと訪れた土門拳記念館。企画展示はヒロシマだった。土門拳のヒロシマに影響を受けた次の世代の江成常夫との「2つのまなざし」。土門拳はやはり圧倒的だった。美しく技巧的な江成は引き立て役。そして写真集とは全然違う。それは絵画と同じだ。★写真は、土門拳に捧げたイサム野口の彫刻作品。素敵な空間だ。★念願かなって土門拳記念館を後にした。しかし、この後、驚くべきものに遭遇するのだった(この話は、後ほど追加予定)。しかし、明日は早朝から鳥海山なので、続きは明日。(21:20)
●2日目 9/10 鳥海山登山 にかほ市温泉保養センターはまなす泊(ねむの丘から徒歩30分)
3)無事下山しました。絶好の天気。素晴らしい山姿、咲き誇る高山植物、鳥海山を満喫しました。敢えて山頂は目指さないのもいいものだ、と喜び勇んでどんな光景が待ち構えているのかと、 つい先に進みすぎて、歩きすぎ。疲労性の激痛です。一晩で治るかな。写真は笙ヶ岳(西鳥海山)からの日本海。(16:35)
4) 一番奥が、先ほどの笙ヶ岳。ここだけでやめておけば良かったのだが、、、(16:48)
5) 正面が鳥海山の外輪山。時間の許す限り近づいていき、左側の尾根を半分以上登って引き返した。山頂は来年まで、お預け。(16:55)
6) 山登りの後は、お約束の温泉とビール! これが楽しみで山に登ると言ってよい。今日の温泉宿は豪華に部屋食です。しかしここは公営なのです◼️ここは秋田県。鳥海山へのバスは秋田側から出ているので。秋田県は意外に温泉街は少ないのですが、北東北は温泉銭湯が多く、銭湯併設の宿泊所が多く穴場なのです(楽天トラベルなどの旅行会社には出ていません)。今日は市の温泉保養センターにお世話になっているのです。3つの異なる源泉を持ち、その一つはアブラ匂、もう一つはヨウ素のツルツル湯。珍しいお湯ですが、かなり好みでした。脚痛も吹っ飛んだ感じ。宿としても関東の高級旅館顔負けです。この安さは物価水準だけでは説明つかないなあ。この地方の人はこういうとこに気軽に泊まれるなんて羨ましい。(20:45)
●3日目 9/11   象潟九十九島めぐり、芭蕉の道など街歩き
 横手に移動して、筏の大杉(秋田県一のスギの巨木)など村歩き★横手市山内南郷温泉泊(硫黄臭の硫化泉なのにアルカリ性という珍しい湯)
7) 左足みはらかに疲労性だが、温泉のためかとか回復、旅けよう。写真くに鳥海山、手前象潟、きさかたです。弁天島、左奈良島。ここは、松島された景勝地。かつての歌枕地。松尾芭蕉細道は、松島とここ象潟目指した。象潟松島同様に、無数小島かんていた。鳥海山噴火によるものです。しかし江戸後期、地震による地面隆起陸地となり、水田開発がされた。ここがだったらさぞかし絶景スポットだったろうけど、地元えではそのままされたとい、それは感謝すべきでしょう。来てみて驚いたのはその範囲が広いこと。100位の島があるんではないかしら。島の名前は地図にはないが、看板があり、水田の畦道に島巡りコースがあります。そこを歩いたわけ◼️象潟の街には、芭蕉の歩いた道コースがあり、芭蕉の泊まった家だとか様々な史跡の説明板がありました。例によって、菅江真澄の逗留地も(イザベラバードはここに来ていない)。それから田山花袋の泊まった旅館跡、戊辰戦争の史跡。左幕派の秋田藩は庄内藩と戦った。これは地域の大事件なんだな。芭蕉の泊まった家には、直系の子孫が住んでいるという説明には考えさせられました。何故なら日曜日というのに観光客は皆無。住民の姿も見られません。郊外の物産館は賑わっていたので、旧象潟中心地は時代に取り残された感を拭えませんでした。こういう遺産を誰が守って行けるのだろう。

私は奥の細道も通しで読んだことがないのですが、東北を旅すると、よく芭蕉の足跡史跡に出くわします。その度ごとに気になって、今回も再び該当箇所だけ繙きました。紹介いただいた部分は、角川のビギナーズクラシックでは、松島は笑顔の美人のように明るいが、象潟は寂しさの上に悲しみをたたえて、心悩ませる美女を思わせる、と訳しています。そんな感じもするのかな。でも松島と大きく違うのは鳥海山の存在。芭蕉は月山には登っているけど、鳥海山には登っていない。修験は鳥海山も同じように栄えていたようだけど。芭蕉も鳥海山に登っていたら印象は変わったのかな。いつか芭蕉の旅した道を通しでたどるのも面白そうです。(11:32)
8)これが象潟の島めぐりコースの看板。道は畦道なので、農家の協力が不可欠ですね。お陰で堂々と畦道を歩くことができました。鳥海山は高山植物の宝庫でした。盛りは過ぎているのにハクサンイチゲにハクサンフウロがまだ健在。リンドウは乱舞し、シオガマとトウチソウだらけ。詳しい同定はこれからですが、楽しかったのは、ここ下界の畦道にも多くの野草が咲いたこと。冬が厳しい日本海の秋は花の楽園なんですね。(11:59)
9)象潟から北へ向かいました。<古老>にお会いするためです。秋田駅と大曲駅、横手駅で乗り換え、北上線の相野々(あいのの)という駅で降りる。この辺りは私の未踏の地。1時間半歩いて、やっと到着。彼は<古老>の守り手で、歓迎してポーズを取ってくれました。<古老>というのは、豪雪を耐え1000才を超えるという。その姿は夕食後にお見せしましょう。(17:53) 
10)先ほどの写真の彼が守っていた<古老>とは、この秋田杉です。「筏の大杉」といいます。樹齢1000年を超え、幹囲は12m、秋田県一の巨木といいます。杉の巨木はよく見かけるが、写真では分かりにくいけど、私が見た中でも超弩級の大きさです。さすがに秋田杉です。守り人によると、昨年の大雪で右側の幹が折れてしまったとのことです。雪が大変です、とおっしゃってました。確かに横手といえば豪雪地帯。この大杉は、雪にずっと耐えて来たんですね。長生きされることを祈って、後にしました。(221:18)
11)筏大杉周辺紹介しましょう。相野々駅から2時間ほどきましたが、ずっとこんな景色がっていました。山村というほどの山地でもなく、田園がっているわけでもありません。標高は100mほど。どこかかしいったじの田舎。荒れた様子がないんですね。ほどのもそうだけど、祖母のようなをかけてきた。この風景特徴付けているのは、らくです。秋田杉整然んでいました。多分、人工林。森にはらなかったのですが、らく手入れがされているのでしょう。気持くことができました。なお、遠くに見えるのは方角的には和賀岳、花の山だが難易度の高すぎる山。◼️向かった先は、ご承知の通り、この旅最後の宿泊地。温泉宿です。昨日と同様の公衆温泉に併設の 宿。今日は民営ですが、よりリーズナブル。今、宿泊者専用時間の開始を待っています◼️早いけど今回の旅の総括。大人の休日倶楽部切符の4日間を有効活用するために無理に行程を引き延ばした計画とも思ったが、旅はしてみるものです。遅い夏休みも季節はこの時期の方がよい。山歩き、街歩き、村歩きと三様に楽しめました。やはり東北は好き だな。今回も温泉を核にしたが、高山だけでなく道端の野草の花も楽しめたのも意外だった。ただ、歩きすぎなのか足がきつくなってきたのが悲しい。(22:48)
●4日目 9/12   帰路
12) 秋山旅第1最終日、帰路についています。随分くまでてしまったので今日るだけ。今、北上駅から南下しています。今朝は3回目温泉びてから裏山いてみました。そうそうこの温泉、硫黄臭硫化泉なのにアルカリというわりもの。かつくのでぐったりしてもう一寝入りしてしまったのですが、この裏山写真。森なのでがどうかはかりませんが、下草際立って豊富です。よく手入れがされている杉林のようです。丸太んだトラックもっていきました。林業健在なんですね。もともと天然秋田杉の産地だから杉にとっても好ましい環境なのかもしれません。今日お世話になった公衆温泉+宿は林業者御用達なのかな。◼️多くの投稿失礼しました。花の写真を全く紹介出来ませんでしたが、今回の大きな成果でした。よく整理してから後程ご紹介したいと思います。
●帰宅後
13)鳥海山を巡る旅から日常に戻り、4日間を思い返しています。旅先からは綺麗な写真をお見せできなかったので整理中の写真を少しだけ。花や街や村や温泉やいろいろ写したけどやはり鳥海山そのものだな。これは登る前夜の象潟駅からの夕日に映える鳥海山です。この方角からだと、新山と呼ばれるピーク(2236m)は見えていないと思います。 左の手前に3っのピークが並んでいるのが私が頂上にたった 笙ヶ岳(1635m)だと思います。下には建物が写っているけど、芭蕉がここを訪れた時は、このあたりは海。松島のように無数の島が散在していたわけです。さぞかし絶景だったと思います。「江山水陸の風光数を尽くして、今象潟に方寸を責む」(奥の細道)と書いたのもうなずけます。
鳥海山は、酒田から象潟までずっと、どしんと聳えているのがよく見えていました。ほとんど独立峰なので、良く目立ちます。地元の人が畏敬するのもよくわかります。見る方向により形が違うようなので、いろいろ見てみたいです。(2022/9/13)
14) こちらは、笙ヶ岳から降りてきた風景。右側が新山方面となります。左側のなだらかな山容は東北の山によく見られるもので大好きなのです。今は季節外れですが初夏には一面の花畑とところどころ雪渓の絶景となるようです。芭蕉がこの景色を見たらどんな句を詠んだでしょうか。もっとも芭蕉はお隣の月山には登っているんですが、月山の景色は描写していないんですね。当時は、山はもっぱら修業のためだったのでしょうか。いや、今でも同じかもしれません。この日の鳥海山は土曜日の好天とあって大混雑でした。皆さん、9割以上が真っすぐ新山に向かっていて、そのルートから外れるこのあたりはほとんど人はいませんでした。新山はこのあと少しだけ覗いてみたんですが、北アルプス並みの鋭い岩場の連続でした。この写真のようななだらかな山容を好むのは少数派なのかもしれません。(2022/9/13)
 

You may also like

Back to Top