11)2022/10/6-10/9 上高地/焼岳/中の湯温泉・浅間温泉
上高地/焼岳の行程・地図の詳細は→ヤマレコ
[速報版]
1日目 10/6 上高地
1)今日は上高地に向かっています。寒そうです。先週の尾瀬が夏の気温だったのに、一気に冬山装備です。慌てて服を着込んだけど、まだ足りないかも。尾瀬といいメジャーなところが続きますが、上高地は高校1年生以来です。上高地河童橋から奥穂高岳を直登したのでした。教師引率のワンゲルですが、所詮文科系サークル。丹沢を数回経験しただけで、しかも悪天候をついてでしたから、無謀としか言いようがありません。切り立った岩場で霧に囲まれ冷たい雨に打たれ寒さに震えながら、もうダメだと死を意識した生まれて初めてのことだったと思います。しかし、その数十分後、上から小学生がバスケットシューズで降りてきたのでした。そのお陰で生き返ったのではなかったか。あの子の靴で登れるんだ、もうダメだというネガティブ思考から脱出できた。◼️今思うと小学生のバスケットシューズで穂高の岩場を降りられる筈はありません。穂高岳山荘に近かったし、その頃には天気も回復してきたので山荘の子の散歩だったのでしょう。でもその一瞬だけが記憶に刻まれています。そんなわけで、高校1年の上高地は楽しい思い出も風景の記憶もないのですが、高校生への人生的教育効果は高かったように思います。◼️こうして今回の「秋の山と温泉旅」第4弾は、追憶の旅です。上高地や穂高岳をみて、どれだけ当時を思い出せるか。そして、かの時には余裕がなくて楽しめなかった風光明媚な山岳風景。もちろん穂高岳の山頂は目指さないのんびりハイキング山旅です。もっともヘルメットは持ってきた。しかし、数日間天気が悪そうだな。天候を睨んで行程変更を検討中です。■写真は小淵沢あたりの車窓から。うーん、いつもは南アルプスの良い風景なんだが。今回の天候は風光明媚どころではないなあ。(9:45)
2) 大正池に到着しました。しかし、雨です。穂高岳は見えず、これは焼岳。えらい寒い。(12:46)
ウエンストンまで来ましたが、上高地はかなりの大雨です。でも傘さして結構な人が歩いています。予定では明日と明後日、焼岳と岳沢だったが、どうするかな。今日も明神池まで行くか悩みどころです。
2日目 10/7 上高地→中の湯温泉
3) おはようございます。ニ日目も雨の上高地です。昨日より強い雨。予報だと夕方まで降り続く。穂高連峰は雪のようです。ここからは雲に隠れて見えないんだけどね、寒さは慣れたせいかそれほどでもない。しかし予定を変更して、今日の焼岳登山は延期します。代わりに今日、何をするかが問題です。(8:05)
4) 雨の降り続く上高地。今晩泊まる温泉旅館のチェックインが13時と早いことに気付き(偶然です)、ありがたや早々に温泉に浸かり生き返った気分です。昨晩のホテルという名の山小屋(14人2段ベッド部屋)は登山前日には良いがのんびりはできず早々と追い出され、雨の上高地で何をしたか。写真は河童橋ですが、穂高追想の旅の筈が、見えるべき穂高は雲に隠れ姿さえも見せてくれません。穂高を途中まで(岳沢)登るつもりだったが、この雨では断念。穂高追憶は次へのお楽しみです。代わりにできることは植物観察です。上高地と言えばケショウヤナギ。北海道以外では上高地を流れる梓川にしか分布していません。しかし、ヤナギの同定は種類が多くて難しい。上高地ビジターセンターで調べてわっかたのが、写真の中央の2本の樹がケショウヤナギだということです。大木になるんですね。◼️それにしても雨だと写真も冴えないし、撮るのも大変。腕が試されます。(15:51)
5) 穂高が見えない上高地だからこそ、実感したのが梓川の存在です。河童橋も大正池も梓川のおかげですね。水量に比べ川幅が広く氾濫を繰り返しているようです。その河畔にあるのがヤナギなんですね。梓川の河畔にはケショウヤナギだけでなくさまざまな種類のヤナギがあるようでした。ヤナギって名は知っているけどちゃんと見たことがなかった。名が知られているのは、昔は身近だったからでしょう。氾濫を繰り返す大小の河畔のヤナギは、河川の整備により身近な存在ではなくなったのではないでしょうか。河畔林に注目してみたいです。写真は梓川の河畔林。河童橋の少し下流の右岸です。左のもっこりしているのがケショウヤナギだろうか。右の方には紅葉したシラカンバもみえる。(16:41)
お陰様で今日はちょっぴりですけど晴れ間もありました。上高地温泉ホテルとは素晴らしいですね。田代池は雨でも幻想的で良かったです。私は上高地の宿は寝れるだけで良かったので、公営のホテルでした。
焼岳は、乗鞍岳に行ったとき計画していて、雨のため断念。以来、焼岳と中の湯をセットで狙っていたんです。折角だから上高地もということで、今回の計画となりました。中の湯は、登山専用というわけでなく、登山者は2割位かな。温泉も食事も良かったです。山の上ですから田舎の一軒温泉宿レベルですが。
3日目 10/8 焼岳
6) 焼岳2444m登頂。うーん、雨はやんだが、真っ白。登りがいはありました。(11:33)
今年の山で最もハードでした。初級向けコースの筈だけど、北アはレベルが違うのかな。
7) スマホの電池切れで遅くなりました。焼岳から無事下山しました。中の湯からのピストンという最も楽なコースにしましたが、中々ハードでした。山頂は真っ白で結局この3日間、穂高連峰はずっと雲の中で姿を見せてくれませんでしたが、焼岳の荘厳なシラビソの森、ナナカマドとカンバの見事な紅葉を楽しむことができました。写真は焼岳の山頂(北峰)を鞍部から写したもの。この鞍部にたどり着いた時には、へとへとになっていて、1時間以上休んでから登頂したのでした。◼️下山後、松本に17時なので自宅に帰れなくはないが、もう1泊。浅間温泉です。偶然にもお祭りで大にぎわいでした(20:33)。
8)「秋の山と温泉旅第4弾」と銘打つているのだから温泉の方も。上高地の温泉と言えば中の湯です。焼岳の登山口でもありここが今回のメインでした。登山者にも至れり尽くせりの名温泉ですね。今回は計画では焼岳を下山して中の湯でゆったりするつもりでした。しかし雨のため中の湯が前泊になってしまいました。早朝に山に入れたのはよかったが、下山後すぐに松本に直行。そのまま帰る手もあったのですが、浅間温泉に絶好の宿が空いていたので予約を入れておいたのです。お陰で、焼岳の疲れを癒すことができました。◼️そして、知らなかったのですが浅間温泉はやけに賑やか。お祭りの真っ最中でした。日本三大奇祭の1つとも言われる松明祭です。(21:18)
9)浅間温泉の松明祭は、温泉街にはよくある縁日イベントの1つかなと思っていました。しかし、どうも様子がおかしい。花火が打ち上げられたかと思うと、わっしょいという掛け声も聞こえる。それが1時間たっても聞こえ続ける。何事かと外に出てみると、長い行列が歩いている。旅館の前は煙が立ち込め、どうやら御輿の代わりに松明の束を載せて十数名の人が曳き、それをカメラマンと温泉客が取り囲んでいる。こういった「組」が次から次へとやってくる。「組」は地元の自治会や学校や企業が組んでいるようだった。典型的な地域ぐるみの祭で、調べてみると御射神社春宮の火祭りらしい。年に1度の地域が盛り上がるお祭りにたまたま遭遇したわけだ。火祭りと言えば、東大寺のお水取りに行って見たいものだが、この松明祭、街中が火と煙で充満したのには驚愕した。(21:59)
4日目 10/9 松本
10) 北アルプスの帰りは松本に立ち寄ることになる。今回は城ではないところを覗いて見た。ここは旧制松本高校の跡地です。キャンパスはあがたの森公園として、校舎は図書館や公民館として残されている。後の信州大学が移転したので、跡地保存運動があったわけなんですね。さらに「旧制高等学校記念館」があって、松本高校以外の旧制高校も含めて資料が収集展示されていました。松本高校と言えば、読メ的には北杜夫や辻邦生がいますね。彼らの展示も興味深かったです。高校生活は上高地や穂高と切り離せないようでした。松本の街の先進的な気風に松本高校の果たした役割が大きかったという指摘もありました。どうも、松本高校などの旧制高校は、学生が全国から集まり、東京帝国大学などの全国の帝大に散っていった訳なんですね。帝大への進学がほぼ保証されていたといいます。男子だけのエリート養成機関への賛否はありそうですが、松本という街に与えた影響は大きいようです。(15:08)
11) 旅先の街に郷土資料館などのミュージアムがあると好んで立ち寄るようにしている。近年は特に、地方のミュージアムが充実しているような気がする。郷土資料館はその地域の歴史や民俗、遺跡を展示解説するものだから、その地域ならではのものが多い。つまり他では見ることができない。しかし、美術館の場合はどうだろうか。今日、松本市美術館で「鹿児島市立美術館名品展」をやっていたので、両市の関係は如何と覗いてみた。何のことはない、両市は文化観光交流協定を結んでいるからに過ぎなかった。ともあれ美術は画家がその地域の出身者であったり、その地域で活躍していたからという理由で収集展示されている場合が多い。絵画そのものと地域との関係は稀薄だ。今日鑑賞したなかでは、鹿児島出身の黒田清輝の桜島大噴火の連作や、信州で活躍した田村一男の蓼科山のさまざまな表情の画が数少ない例外だ。あとはなぜ展示されているのか分からなかった。尤もこれは当方の美術的知識、感性の欠如を示しているだけなのかもしれないが。◼️しかしながら、地方美術館はもう1つ、誇って良い点があるかもしれない。それは地元の出身の画家への力の入れようだ。うまくやれば金沢21世紀美術館のようなレベルを発揮できる。草間彌生は松本市の出身だ。その常設展は力が入っていて、楽しめた。写真は彼女のお気に入りのカボチャ。この展示については、どんどん写真を撮るよう促していたのであった。(16:22)
12)さて、最後の〆の昼食はキッチン南海です。松本に来るたびにここでお世話になるのです。かつて神田神保町に古本探しに行っていた頃、キッチン南海でよく食べたものです。まだあるのかな。松本のは、支店ではなく、暖簾分けだそうです。今日は開店すぐに満員になっていました。定食のカツはササミでした。神保町の店はヒラメで、ショウガ焼きとのコンビが私の定番でした。そういえば神保町はおろか東京にはここ何年も行っていないなあ。(16:52)
松本のキッチン南海は、昔のままのキッチン南海の味です。
神保町の店は移転したんですね。ということは、店が綺麗になったということですね。料理の味はともかくとして、あの店の雰囲気はもう味わえないのか。
[焼岳の紅葉-3段ロケット]
13) 秋の山旅を詰め込み過ぎた感もありますが、今週末は久々の休養日としたので、先週登った焼岳の紅葉を紹介していこうと思います。<紅葉3段ロケット>とで言えるでしょうか。登山口(中の湯)の標高が1520m、山頂が2444m。標高差が924mあります。この標高差は、私の体力の限界を超えてへとへとになったのですが、植生の垂直分布が紅葉の違いとしてまざまざと現れていたので、大変興味深いものだったのです。■まず写真は、標高1,700mぐらい。登り始めて30分。このあたりはブナの森です。黄色く色づいています。これより下はまだ紅葉は始まっていませんでした。
14) 焼岳は標高1,800mぐらいから亜高山針葉樹林帯となります。シラビソの多い森です。もちろんシラビソは紅葉しませんので、紅葉は途絶えます。このシラビソの森は、標高2000mぐらいまで長く続きます。1時間以上はかかっています。私は、亜高山針葉樹林帯の雰囲気が大好きなんですが、さすがに長いなあっとうんざりしたところで、オオッと声を上げる素晴らしい光景が展開するのです。焼岳の紅葉の神髄です、第2段ロケットです。(2022/10/14)
15) つづきは明日、と言っておきながら間が空いてしまいました。焼岳の<紅葉3段ロケット>を一気に紹介しようと思っていましたが、少しずつということでご勘弁を。まず、長ーい亜高山針葉樹林帯を抜けようとしているところです。標高は2000m付近、時間は8時18分。ここで森林樹林帯は終わりです。焼岳の山頂と色づいた草原、それに赤と黄色に色づいた小木、そして青空が見えてきます。ここで、おぉっと声を上げたものです。小木の赤はナナカマド、黄色はミネカエデと思われます。ここからロケットの第二弾がはじまるわけです。(2022/10/17)
16) 昨日は亜高山針葉樹林帯を抜けようとしていた景色を紹介しましたが、その5分後の8:23。焼岳の山頂が完全に姿を現しました。右が北峰で左が南峰です。南峰の方が高いけど噴火のため立ち入り禁止、今日は北峰に向かいます。ここから先は高い樹はなさそうで、森林限界を超えたんだなと思いました。この標高2000mだとハイマツが多いはずなんですが、見当たらず、だからこそ紅葉が鮮やかなんでしょう。赤いのは、ナナカマドです。
17) 少し歩いて8:29。これが、焼岳の紅葉の全貌がよくわかる写真です。先ほど、森林限界を超えたと言いましたが、実際はそうでなく、ダケカンバの森が続いていました。白い幹の樹ですね。惜しむらくは、このダケカンバの色づきがよくないようです。どうも枯れている葉が多い。上の方の遠方に鮮やかな赤と黄色が見えますので、拡大してみましょう。
18)ここは、登山ルートから外れているので、近くに行って確認はできませんでしたが、この黄色がダケカンバではないでしょうか。タケカンバがすべてこの色に染まっていたら、さぞかし素晴らしい景色だったと思います。これら、ダケカンバとナナカマドの紅葉が焼岳の第2弾ロケットです。今日はここまで。次回はこの第2弾の紅葉の中を登っていくことにしましょう。(2022/10/18)
19)さあ行くぞ、と紅葉のダケカンバ林の中へ進んでいくと、しかし、日が陰り霧が立ち込めてくるのでした。この日は雨が上がったのはいいけど、基本的に曇り。晴れ間が出たのは断続的にわずかな時間だけなのです。紅葉は日が射してこそ美しいので、残念です。
20)濃霧の焼岳。うーん。霧が晴れるのを待つ手もあったけど、先はまだ長い。登り続けます。しかしもちろん、ここで終わるわけにはいきません。また晴れてくるのでした。(2022/10/19)